ある検索サイトが私のプライマリ検索サイトでなくなった時

涼元悠一「青猫の街」( ISBN:4104271012 1998 年 12 月発行)p.106 より

 インターネットで怪しい情報を調べたい時には、人間が手作業で情報を厳選している YAHOO! のような検索サイトはあまり使えない。善い情報悪い情報の区別なしに検索ができる自動蒐集(ロボット(原文ルビ))タイプのサーチエンジンが絶対必須だ。
 ブックマークに登録してあるいくつかのサーチエンジンから、まず CyberDove を選んだ。有名(メジャー)なサーチエンジンではないけれど、その分動作が軽いし、細かい設定がユーザー側でできるから使いこなせばかなり強力だった。
 CyberDove のタイトルロゴと共に、機械仕掛けの鳩が羽ばたく GIF アニメーションが表示された。トップメニューのお知らせに『当サイトは 97 年 4 月から○○新聞社と提携し、新世代の有料会員制総合検索サービスとして装いも新たにスタートします』とあるのを苦々しく読み飛ばしながら、僕はまずオプション設定ボタンをクリックした。

千里眼 ODiN と、全文検索型検索サイトを乗り換えてきたわけだけども、Infoseek と goo をいつごろ使い始めたのかは、今ははっきり思い出せない。そしてそのどちらかが私のプライマリ検索サイトだった。
2000 年頃だったか、そのどちらかのサイト(もはやどっちだったか覚えていない)の「日本語のページを検索」という設定(確かデフォルトだった)で、.jp じゃないサイト、つまり .com とか .net などなどのサイト(当時は有名サイトでは asahi.com ぐらいで、日本語のサイトにはそんなに多くなかった)の日本語のページが出てこなくなったことがあった。一週間程度の不具合とかそんなもんではなく、データベースが完全にそういう風になってるんじゃないか、という感じで。それが原因で乗り換えることにした、ということは覚えている。
まぁともかく、最初に示した引用にもあるように、メジャーな検索サイトは重くて当然、という雰囲気があったし、あるいはいろいろと付加価値を付けようとしたりとか色々と迷走したりしていた。
Google がそんな中で抜きん出て勝ったのはなぜか、といえば、そのトップページのシンプルさに見られる割り切り、検索の速さ、検索結果の品質、そういった、中心となるサービスの向上、に注力したからであり、著作権による抑圧があっただなんだというのはどうにも。
最近良く聞くこの「著作権による抑圧」説、 question:1296869124 で質問してみたのだけれども 2006 年末のワーキンググループ報告とそれをうけての報道で「日本の業者は海外にサーバを置いている」とある以外にソースがなく( /.jp やはてブの反応を見ればわかるが、当時それは初耳で、驚きをもって受け取られている)、ある方面の人々がどんどん話に尾鰭を付けて(「文部省が返事した」とか)いるような気がしてならない。