私は宇宙戦艦ヤマト復活篇を、どう期待していたか

冷静に計算してみたところ微妙に恥ずかしい結果が出てしまったのだがそのへんも含めて書いてみることにする
http://member.nifty.ne.jp/NEWYAMATO/ ( member.nifty.ne.jp の robot.txt の設定により Web Archive では見られなくなっている。見られた時期もあったらしい)で公開された企画案を見たのはいつのことだったか。1996 年以降 2000 年以前のはずである。そして何より印象に残ったのが、地球に迫る「カスケードブラックホール」の形容「ナイアガラ瀑布の何千倍、何万倍」だったかそんな表現があった。少なくとも「億」の言葉はなかったと思う
果たして宇宙的な脅威に対する形容として「ナイアガラ瀑布の何倍」というのは呆れてしまう形容である。後年、豊田有恒さんが『日本SFアニメ創世記』で書いていたことがうなずける内容であった
のだが...
冷静に計算してみると、一般のブラックホールは「宇宙的スケール」程大きいとは限らないのであった。だいたい太陽質量の10倍程度のブラックホールが、一般に考えられる恒星起源のブラックホールの大きさの下限であるわけだが、計算するとシュヴァルツシルト半径がだいたい 30km となる。ナイアガラの滝がカナダ側からアメリカ側まで延べ 1km ぐらいなので、その数十倍程度の大きさからブラックホールは存在しうるのだった
もちろん劇中のナレーションでも言及されるいて座A* ともなると数千万 km(水星の軌道ぐらい)というオーダーであるわけだが
余談までに、『さよならジュピター』のブラックホールは(小説版を参照すると)太陽質量の 1/40 程度の「ミディアム・ブラックホール」となっている。シュヴァルツシルト半径は数百メートル。こちらはむしろ小さいことでなかなかみつからなかったし(まぁ作品がハードということもあるが)、木星をぶつけて進路をそらせるということが可能な大きさ、ということであろう
小説中では、そのような「ミディアム・ブラックホール」が存在することが、理論や観測により裏付けられている、という架空の宇宙論史もきちんと設定されているが、そういう映像にしにくい所こそが小松SFの凄みだろうと私は思う。閑話休題
一応劇中の台詞によれば、「カスケードブラックホール」は直径30万kmとのことで、程々に宇宙的スケールの設定はされたようである。ヤマトの船体との対比が、とかそんなことは言ってはいけない。最初の太陽系パノラマ視のカットで小惑星帯をカメラが通る時に煙ったようになる演出の時点から、そのへんは悟って見るべきであろう
むしろ、森雪とスターシャ(とナターシャ)はいわゆる「松本美人」と呼ばれるタイプのキャラクター造型であったわけだが、あれがあってこそのヤマトだったなぁとかそういう思いのほうが、作品を見た感想としては大きい
あとはラストシーンのネタバレになるので続きを読む記法で。ネタバレが気になる人は読まないようお願いします
というわけで、SF 的ツッコミをヤマトにするのは野暮というものであるが、1 点、これだけはまずいだろうというものがある
なんで第三艦橋CIC(作中ではちょっと違う名前で呼んでたようだったけど、要は情報中枢)を置くねん。何度も壊れるし、兵装の無い船腹側ということでドメルにはりつかれて自爆に巻き込んでふっとばされたりもしている、あの第三艦橋だというのに、そういった戦訓を全く無視した暴挙と言わざるをえない
(ついでに続編でなにくわぬ顔して登場したりしたら、キャラの生死をてきとーに扱っているという最初の続編以来の悪癖にも制作陣は全く反省してないということも言えるだろう)