高橋先生のこと
昨日、和田先生がこのようなツイートをされていた。
6月30日は高橋秀俊先生が逝去されて30年. 情報教育に尽力された高橋延匡先生も2002年の6月30日逝去. 老後まで計算好きだった山内二郎先生は1984年の3月31日逝去(4月1日生!). こういう区切りに死去するのは数が好きな学者の人徳か. 寺田寅彦1935年12月31日没.
— Eiiti Wada (@eiitiwada) 2015, 6月 29
高橋秀俊先生が亡くなられた時はまだ私はまだ小学生であったから、もしかしたら『物理の散歩道』にあるような話のひとつぐらいはどこかで聞いていたかもしれないが、特に覚えているようなことはない。高橋延匡先生のことである。
和田先生の以前のブログ記事( http://parametron.blogspot.jp/2008/06/blog-post_30.html )にあるようにどちらの高橋先生が亡くなられたのも日曜日であるという。月曜日だというはっきりした記憶は無いのだが、そうだったのだろう。研究室(学生・院生部屋)でいつものように何かをしていたら指導教官の先生が部屋に来られて、高橋先生が亡くなられたよ、と伝えられたのだった。確かその時、高橋秀俊先生が亡くなられたのも同じ6月30日の日曜日で、というようなことも先生が話題にあげられたような記憶がある。
少し前に先生の名前で検索した時に、JECCの「日本が輩出したITの偉人たち」というPDFが検索結果に出てきたのだが( http://www.jecc.com/up_pdf/472_0905_06.pdf )、似顔絵イラストがおそらく情報処理学会の「日本のコンピュータパイオニア」の( http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/takahashi.html )紹介にある写真を参考にしたのだと思うのだが、少々なんというかあんまりである。エンジニア教育としての厳しさは当然であるが、コンピュータについて、あるいは落語について語っている時の、これほど楽しいものはないという先生の感じが撮れている写真をそういえば持っていたので(以前から http://metanest.jp/chosa/ に置いてあったものです)ここに上げておこうと思う。