1970年のひふみん発言とコンピュータ詰将棋について少し

1970年に加藤一二三九段(当時八段)が将棋とコンピュータについて語った文章が2chに書き込まれ、保存サイトに転載されるなどして少し話題になってますが( http://2chcopipe.com/archives/51911853.html , なお元スレは http://toro.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1369506334/n724 )、少々補足を。
加藤八段(当時)は「詰め将棋を解くプログラムはほぼ完成されておりまして」とおっしゃっていますが、これは少々というか、かなりコンピュータをヨイショされています。別の資料( http://id.nii.ac.jp/1001/00061041/ の、p. 992 囲みコラム「おふぃすらん」)によれば、1968年頃の週刊誌の企画で、詰将棋をコンピュータが解いて加藤八段が解説する、といった趣向であったが、プログラムが余詰め(題意から外れた解)を回答として出力するため加藤八段を困らせていた、という話が載っています。
もっとも、余詰めの無い問題なら正解を回答できるものであった、と考えることもできますので(むしろ現代では、余詰めの確認のためにプログラムが使われる)、加藤八段はむしろ本質を衝いておられたのかもしれません。
なお、コンピュータ将棋研究としての詰将棋プログラムは、その後、最長(現在に至るまで)の詰将棋である「ミクロコスモス」(1986年)を、1997年に脊尾詰という詰将棋用プログラム(対局用ではない)が解いたことで、一段落がついたという感があります(情報の正確を期すと「1525手の」と文献にありますので、「ミクロコスモス」の1995年に改訂された版です)。
そして、より重要な話題である、コンピュータが将棋を指すようになっても変わることはない、という話題ですが、これに人類が月に着陸した件を重ねているのは時代背景として重要です。なぜなら1970年は、アポロ計画による人類の月着陸(1969~1972)が、まさに進行していた時代であり、SF方面で伝えられている話として、アポロの月着陸によりSFは廃れると、さる人物が言った、などという話があり、それに様々な反論があった、といった時代であるからです。(後には半ばジョークとして、たとえば堀晃さんの『マッド・サイエンス入門』では、探査機が到達した惑星は「色あせてしまった」、到達予定の惑星には「色あせるのも時間の問題である」と書かれたりしていますが、これはむろん、アポロの時代のそういった話を踏まえたジョーク)
なお、当時よく「そんなことない」と言ってひきあいに出された作品が、クラーク『渇きの海』(wikipedia:渇きの海)で、作中の設定が、アポロによる調査によりほぼありえないことが確定した作品、として知られています(なお『2001年宇宙の旅』の作者解説を読むと、現実に追いつかれるということについてはクラークはいろいろと意識していたようです)。