「電算機を救え」コメント

手元の「計算機屋かく戦えり」(以下「戦えり」)「日本のコンピュータの歴史」(以下「歴史」)をベースに、TBS「官僚たちの夏」第5話についてコメントしてみよう。論文じゃないので必要がなければページは書かない
副社長の名前についてだけど、「戦えり」安藤馨氏の記事によれば、バーゲン「ス」トックとなっており、検索してみた感じではBergenstockかもしれない。遠藤氏に問い合わせれば確認できるだろうか
まず、ドラマ中コンピュータの輸入が一切止められているかのように語られているが、現実では制限されていたし、「輸入の際には申請書が必要なんですが、それを出すとコンピュータを使われるお客様が通産省に呼び出されて、なぜ必要か、本当に必要かなんてヒヤリングをされました。(略)」(「戦えり」安藤馨氏)なんて話はあるものの、IBM 650をはじめ、UNIVAC File Computer他多数輸入されている(「歴史」p. 176)1960年には50億円を越えている
また、IBM社が絶対的な強者になるのは1964年のSystem/360で「50億ドルの賭」に勝って以降の話であり、それより前の時代である、というのはひとつのポイントであろう(ドラマ中の、誰も彼もがIDN機を、というのは微妙にズレている。実際、当時輸入されていたコンピュータには他社製機も多い)
IBM通産省の交渉が始まったのは1960年4月で、そのあたりはほぼ史実に従って台本ができている。ただ、いきなりマスコミ向けに意見表明をしたり、交渉の場を記者に見つけられているのは脚色で、「二人の折衝は、マスコミに気づかれないように部屋にこもりきりで(略)続けられた」(「戦えり」平松守彦氏記事)
特許に関して風越の、日本企業が独自に開発したものに、ライセンス料を請求するのか? といった趣旨のセリフがあるが、これはさすがに通産官僚として不勉強と言わざるをえない。基本特許とはそういうもので、独自に開発したものであろうと、同じ仕組みの物であれば権利者の権利が及ぶ、というのは特許の基本である。史実では1950年台のうちに(「歴史」p. 187)電子計算機調査委員会により調査され、問題のある特許を無効にしたりしている。
「当時,米国からの特許出願には工業所有権戦後措置法による優先権があり,戦中戦後の古い特許が書き直されて我が国に出願されていた.発明の時点だけが古いままで,特許請求の範囲がその後の進歩を見て変えられているのであるから問題であった.」(「歴史」引用は原文ママ。正しくは工業所有権戦後措置令)
ドラマでは庭野が演じたところであるが、1対1で7パーセントのロイヤリティを5パーセントまでまけさせるところ、筆談になるところなどは平松氏の史実を参考にしたのであろうか(「戦えり」平松守彦氏)
最後のところでIDNが、引き換えに自社の機械を製造させろ、という話を持ち出し、最終的に台数制限で決着するのもほぼ史実通りである(史実ではその機械はIBM 1401。12月20日)特許のライセンスを受けることになった日本企業は(「歴史」)日電、日立、富士通東芝、三菱、松下、横河、島津製作所、芝電気、シャープ、北辰、新興製作所、ティアック、田中精機、東京重機工業。合意についての「歴史」の参照文献は 情報処理, Vol. 1, No. 4, pp. 243-244. となっている。
その他の話としては、機械産業の振興にあてることになっている競輪の収益金を使う話があるが、これは史実では1950年代に、電子産業の振興としておこなわれている。また、ドラマでは触れられなかった点で当時の計算機振興策としては、JECCの設立があるだろう。他1960年というと、国鉄と日立のMARSや、ETLの翻訳機械やまと等あるわけであるがまたの機会にでも気が向いたら
(2010/Nov/25 追記)
正しくは Birkenstock 。なので、(遠藤さんの本では一貫して「バーゲン」としているが)バーケン、としたほうが正しそうである。IBM のサイトの、IBM 701 建造チームのメンバーとして名前があった写真もある