池田信夫にとって不都合な真実

池田信夫 blog 日本のソフトウェアはなぜだめなのか
例によってツッコミ所満載なのでアレ

日本のソフトウェア産業は、初期から政府の手厚い保護と指導のもとに置かれてきた。1960年代には、

コンピュータ産業とソフトウェア産業を混同している。ソフトウェアが産業として立ち上がるのは 1970 年代以後

70年代には、通産省IPA(情報処理振興協会)を設立し、電機メーカーを糾合してIBM互換(大型)機をつくらせ、「国産ソフトウェア」を開発する官民プロジェクトに多額の補助金を投入し、すべて失敗した。その代表が、シグマ計画やTRONである。

前半はともかく、後半は 80 年代のこと。「すべて」って、IPA から金が出たものが全て失敗してるなんてんなわきゃない
Σについても、ウィキペディアにあるように( http://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%A3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

しかし、技術的進化を見誤った上に開発の目標がハードウェアの方に偏っていたことなど、ソフトウェア産業ばかりか情報産業全体の趨勢(すうせい)からかけ離れてしまった。

と、「ソフトウェア軽視」が判断ミスとされているわけで、“「国産ソフトウェア」を開発する官民プロジェクト”ってのはおかしい
TRON は産学プロジェクトで、ってのは言わずもがな。プロジェクト関連の個々の開発で支援を受けたのはあるかもしらんけど(調べてない)、

通商産業省(現在の経済産業省)が立案し、その外郭団体の情報処理振興事業協会 (IPA) が推進役となった。
ウィキペディア - Σプロジェクト より)

Σと TRON を並べるのはおかしい

プログラミング言語に国籍はないので、むしろ日本語の壁を超える足がかりになったはずだ。

はーい。仕様は英語で書いてありまーす。翻訳されるの待ってたら乗り遅れまーす。議論するのは英語でーす
「コードで(パッチで)議論」というのは、一面では真理ですがそれが全てじゃありません

彼らの印象は、日本社会の本流からはずれた人たちだということだった。有名大学出身の人はまずいないし、大学を中退した人や電機メーカーをやめた人など、どこか傷ついた人が多かった。

ま、印象で語られたら反論できないんですけどもね。ゲーム業界でそのあたりの人達と並ぶ有名人でたとえばパックマン岩谷徹さん( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%B0%B7%E5%BE%B9 )は東海大ドラクエプログラマ中村光一さん( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%85%89%E4%B8%80 )は電通大(在学中に学生起業)ですな。「有名」の閾値がどのへんか知りませんが
あと、元の話のほうで出てくるまつもとゆきひろさんは筑波大学だし。さすがに筑波は有名大学ですよねぇ

対米進出するときも、アメリカのゲーム産業は「アタリ・ショック」で壊滅したのでだめだ、と業界関係者はみんな反対したが、任天堂は自分のリスクで進出した。

ゲームの歴史について興味を持ってる人の間では、アタリショックがらみの話は眉に唾を付けろってのが昨今の常識( google:アタリショック
...ツッコミ喰らって「正確にいうと、」とか追加してますが、3DO はともかく PC-Engine を失敗って決めつけるあたりも乱暴極まりない
CD-ROM なゲームプラットフォームとして先行したことにより、ゲームのマルチメディア化を先導し「天外魔境」「ときメモ」の登場ハードであったこと等、高く評価されてしかるべき点は数ある
最後に
渡辺さんの話に出てくるような、パソコンソフトの世界をちょいと見てみれば、保護されない産業はうまくいく、モチベーションがあればうまくいく、なんていうのがいかに空論か、さっくりわかると思うのだがどうか? この業界こそ、通産省が軽視していた世界なのだが