エレクトロニクスの初期(主に真空管。半導体は除いた)の展開

ざっと。

エジソン効果の発見(1883年)

エジソンが1883年に、電球のフィラメントの近くに別の電極を置くと、フィラメントとその電極の間に電流が流れることを発見。2極管の基本原理であるが、エジソンによる発展は無かった。

2極管の発明(1904年)

ジョン・フレミングがエジソン効果による2極管を発明する。これは真空管自体の発明でもあり、また彼はその後も幾つかのカテゴリの真空管を発明している。2極管はラジオの検波で鉱石検波器を置換えるなどした。

3極管の実用化(1910年頃~1910年代)

その初期においては、3極管により各種の回路(装置)が実用化されるまでには紆余曲折があった。一般に1906年のド フォレによる「オーディオン」が3極管の嚆矢とされるが、それにより増幅・発振などの機能をどう実用化するか(できるか)が問題であった。そもそも基本である増幅作用についてすら、ド フォレの功績か他者による発見かで議論があるほどである。完成させるべきものとその理論がはっきりしていればそれに適した素子を作れば良いわけだが、そもそもそういった理論ができてきたのは1927年のハロルド・ブラックによる負帰還アンプの発明などからであるから、この時代にはまだ混沌としていたわけである。
3極管の応用の実用化までに関与した主要人物として、ド フォレの他、エドウィン・アームストロング(彼とド フォレとの間には長い特許紛争があった。その後のスーパーヘテロダインやFMの発明・実用化でも知られる)、Alexander Meissner(発振器をアームストロングとは独立に発明)の名が挙げられる。ド フォレを含む彼らにより独立に、1910年代前半頃に3極管の応用の実用化は行われた。これにより、無線では火花放電の副作用に頼るのではなく安定した送信ができるようになり、ごく微弱な受信電波からスピーカが鳴らせるようになり、有線においても長距離電話が可能になったわけである。
他にも関与した者はいるが、高真空度の実現などによる完成度の高い3極管は1910年代にアーヴィング・ラングミュア(後にノーベル化学賞を受賞(1932年))によって作られた。

以降の進化(適応放散?)

トランジスタにもバリエーションはあるが、真空管には本当に多種多様の形態があり、それらはここには書き切れない。
(電子式)コンピュータにつながるものとしては、ひとつには第2次大戦によるレーダ分野への開発資源の傾斜(集中)により、高周波・パルスといった応用が進んだことが挙げられる。また、コンピュータでは、真空管にいわゆるスイッチング動作を(可能なら高速に)させてフリップフロップを作る必要があるが、そういった回路はコンピュータ以前にガイガーカウンタでカウントのために使われていた。
このカウント回路に関する件は日本ではなかなか気付くのは難しかった、という話があり、ENIACの報にいち早く触れ1940年代後半に電子計算機にとりかかった阪大グループが、1949年まで右往左往したのはこの点だった、という。年表では同じ頃1948年に東芝TAC*1の研究が始まったとされているが40年代の詳細は不明である。51年頃にはフリップフロップ等の実験をしていたという。
1949年3月に研究予算が付いて始まった、結果として日本最初となった電子式コンピュータのFUJICの開発においては、当時阪大グループと接触があったというから、おそらく基本的な情報は共有されていたのだろう。戦前の海外の文献(戦時中以降のものはその頃日本には無かった)などを中心に同様な種類の回路を何種類かサーベイし、基本となるフリップフロップの回路を完成させた、といったように文献にはある。

*1:東芝TACは、開発の難航で知られる東大TAC(Todai Automatic Computer)のルーツであることは確かだが、関係者によってはTokyo Automatic Computerという別の名の略だったとし、正式名についても複数の異なる記述があるなど、詳細には定説が無い。